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海外にいた頃、一時帰国で戻ってくると一日中テレビにかじりついて関西のお笑いを見ていた日もあったほど面白いと思っていたものが、この1年くらいあまり面白いと思えなくなった。
思えばあの当時は日本語に飢えていたし、関西弁に飢えていた。 でも帰国して3年が経とうとしている今、関西弁は嫌と言うほど聞こえる。もう懐かしくも無い、日常だ。 こうなると勝手なもので、関西の芸人が出るテレビを見たいと思わなくなった。 というか、最近のテレビは人気の出たお笑い芸人を使いすぎていて、どの番組も同じようだし、構成にいたっては「1時間番組やるから適当に面白くやっといて」なんて言ってるんじゃなかろうかと思うほどワンパターンで間延びしまくりの番組が珍しくない。 しかし昔ながらの漫才スタイルを保つ芸人さんの漫才は、やはり切れがあって面白いので、じゃあ落語はどうだろうかと年末にNHKで落語の名演を集めた番組を見た。 私の落語の知識はお粗末なもので、 昔関西でやっていた「らくごのご」というテレビ番組か「笑点」ぐらいのものだ。 「らくごのご」は、笑福亭鶴瓶と桂ざこばが、客席から得たお題に沿って即興で落語を披露して競うという番組で、普段のバラエティ番組で見るのとは違う、本物の落語家としての気迫や真剣さが好きだった。 まあその程度なので、古典落語も全然知らないし、見所もよくわからない。 それでも、往年の師匠たちの名演は見ごたえがあり、話の上手さがやっぱりプロだ。 バラエティ番組でお茶を濁している芸人とは格が違う。 中でも特に気に入ったのが、桂三枝の師匠であった桂文枝師匠の落語だ。 笛や太鼓の音を鳴らして落語をするのが上方落語の特徴らしいが、その楽しげな雰囲気によく通る明るい声で演じられる楽しい落語はとても素晴らしかった。師匠は七十二歳でお亡くなりになっており、今年、三枝さんが「文枝」を襲名するらしい。 三枝師匠の落語もぜひ聞いてみたいものだ。
両親が大阪で中華料理屋を営む戸村家の長男ヘイスケと次男コウスケ。
男前で女の子にモテモテのヘイスケは、器用で何でもソツなくこなすのに、おやじの中華料理店の手伝いはしない。モテモテとは縁のないコウスケは一本気で豪快でお店のお客さんにも可愛がられ、店の手伝いも進んでこなす。性格も見た目も違う兄弟だ。 高校を卒業したら「小説家になる」と、バイトでためたお金を持ってヒョイと東京へ行ってしまった兄のことがどうしても理解できない弟は、おやじの店を継ぐのは自分しかいないと気負うが、肝心のおやじは・・?! 恋に進路に、家族に悩む二人の話は、自分が大阪の人間だからか、臨場感たっぷり。 町の中華料理店を営む家庭にこんなドラマが隠れているのかも?と思ったら、近所の中華料理店でチャーハンや餃子を食べたくなった。 おすすめ!
昨年末から知人やご近所の方の訃報に触れることが数件続いた。
若くして亡くなられた方においては「まだまだお若いのに」と、つい感じてしまうこともあるが、では人は何歳まで生きたら妥当かといえば、人それぞれというほかない。 学生の実習指導で行かせていただくのは、担当が老年看護学なので介護療養型の病院や老人健康保健施設などであり、実習場でお目にかかる患者さんや利用者さんは圧倒的に八十代以上が多い。施設の平均年齢が九十歳越え、百歳以上の方が複数いるところも珍しくない。 私の祖母は七十一歳で他界した。 癌で十年近く通院し、最後の数ヶ月は入院していた。 そのせいかどうか、若い頃、早く死んでしまいたいと思っていたのが、子どもを持ってからは漠然と七十歳くらいまで生きられたらいいなと思っている。 子どもたちが社会に出るまでは生きていたいし、結婚して出産するとなれば実家の母親を当てにしたいこともあるだろう。そんな期間を含めての七十歳くらいまでだ。 しかし人間は、生まれてくるときも、死ぬときも、自分で決めることができない。 世の中には自殺する人もいるが、自殺はいけない。 後に残された家族がどんな思いをするか考えたら、自殺なんてするべきじゃない。 神様だか仏様だかが与えてくれた人生を生き抜かなければならない。 病院で、おむつを付け、寝たきりで自力で食事もとれず、やせ細った腕に点滴を打っている人や、胃に空けた穴にチューブを繋いで栄養剤を注入されている人を見るたび、その方々が人生の終末期に苦痛を強いられているように見えてどうにもお気の毒に思える。 食事や排泄という人間の基本的欲求を自分で充足させることもかなわない状態で、ただ栄養を注入されて生かされているなんて、家族のエゴじゃないのか?とも思っていた。 ところがあるとき、九十代で手足は屈曲したまま固まってしまっている方が笑顔でこうおっしゃった。 「自分のことも自分でできなくなって、こんな体でおかしいと思われるかもしれないけど、私はいつまででも生きていたいと思うのよ。」と。 その人は、食べさせてもらえば食事を食べることができたので、注入栄養を受けている人とは違うだろう。しかし、高齢になり不自由な体となっても、周囲の人と楽しく会話をし、生きる意欲に溢れている姿に目から鱗が落ちた気がした。 人の幸不幸は、その人次第。百人いれば百通りの幸せの形があるのだろう。 他人が見て大変そうだから幸せでないと決め付けるのは、傲慢だ。 お葬式などに参列すると、その方の年齢や病名で「まだ若いのに」とか「大変だったでしょうに」とか思ってしまうが、そんなことは余計なお世話なのだ。 もし平均年齢よりずっと早くこの世を去られたとしても、充実した人生を送られた可能性は十分にある。 自分があとどのくらい生きられるのかわからないが、いつそのときが来ても「まあ、こんなもんでよかったかな」と思って旅立てるようでありたい。
皆さま、あけましておめでとうございます。
楽しいお正月をすごされましたか? 今年も気の向くままに進めて参ります。 よろしかったらお付き合い下さいませ。
公私ともにいろいろなことがあった1年だった。
2011年は今日で終わるが、 原発事故も民主党政権もまだ続く。 大阪では大阪維新の会が大躍進し、 橋下市長は、連日関西のテレビに登場している。 大阪から今の日本を変えてくれたら!! 橋下さんに変えられなかったら、 多分誰にも変えられずに日本は沈没するのではないか。 そんな不安も感じながら、維新の会に期待する。 今年もブログにお付き合い下さった皆さん、 ありがとうございました。 来年が皆さんにとってHappyな一年になりますように。 また来年もよろしくお願いします(⌒∇⌒)ノ"
明治ステップから30bq/kgのセシウムがでた。
この原料となった原乳は、原発事故以前のものらしいが、 だったら、どこからの汚染か? 製造過程でとなると、水などほかの原料からか、大気からということになる。 大気から粉ミルクがそこまで汚染するって、 大気の放射能汚染がどれほど酷いものだったのか?ということだ。 テレビでは、放射能の専門家と称する人が「心配ない」と言っているが、 心配する必要があるかどうかは、何年も経過してからでなければわからないのに、 そんな不確かな情報を公の場で堂々と言っていいのか? 防塵フィルターを抜けて工場の清潔エリアに入ったセシウムに汚染されたというのが不自然だし、 "ステップ"だけというのも不自然だ。 不自然といえば、 原発事故以降、放射能汚染が一般に言われた食品は、 牛肉、ほうれん草、キノコ類、米が主だが、 それだけの品目しか汚染されていない筈がない。 ある特定の食品をスケープゴートにしているだけだ。 農林水産省のホームページを見れば、 テレビや新聞ではほとんど言われない野菜や魚、肉の汚染状況のリストがある。 しかしこれも、東北や関東産のもののデータだけだし、 測定器には検出限界値があることから、軽度の汚染は見過ごされる。 ETV特集「海のホットスポットを追う」では、 海底にたまった放射性物質は、陸地に沿って南下する海流(沿岸流)によって徐々に南へ運ばれていることが検証されていた。 番組では10月の測定で、千葉県犬吠埼での値が茨城県鹿島沖を5倍近くも上回っていた。 ちなみにその際の犬吠埼は156bq/kgだった。 この結果のように、福島第一原発から出た放射性物質が徐々に南下して海底を汚染しているとしたら、西日本の海も徐々に汚染されていくと想像できるが、番組の計測は千葉県の出っ張ったところが最南端であったため、それ以南の汚染の状況はわからない。しかし、千葉県よりさらに南または西に位置する東海や近畿、四国の海でさえも安全であるとは言えない。 ましてや海の表面や浅いところの計測をして「安全」とは言い切れないことは明白だ。 番組ではこの沿岸流は、「南下する」ことしか触れられていなかったが、河川が海に流れ出す水流によって起こるこの海流に「北上する」動きがあってもまったく不思議ではない。 ということは、福島より北の海域でも同様の海底汚染が広がっていると見るべきではないのだろうか? 同じ番組の中で、生態濃縮についても触れられていた。 海水の汚染が40.7bq/kgだった場合、 その場所にあるアラメ(海草)の汚染はおよそ10倍の421bq/kg、 さらにそこにあるウニはその5倍の2017bq/kgであるとされていた。 海水の汚染が、それを吸収するアラメを介して、アラメを食べるウニに到達するとおよそ50倍の放射線量となっているということだ。ウニは海底に転がっているものだから、これをすべての魚介類に当てはめることはできないにしても、すでにネットでは取り上げられている海底魚の汚染は、ウニと同じように進んでいると見るべきではないか? もちろん、ひとつの魚を、一度の食事で何キロも食べるということはないし、 骨や内臓などの食べない部分があることから、魚を食べることによる内部被曝が、即ち海水の50倍にあたるとは言えないが、食事に含まれる放射性物質は決してセシウムだけではなく、またメディアによって広められた食品のみが汚染されていて、それ以外のものには汚染が全く無いとは考えられない。 何より食事は毎日のことであるから、どんなに気をつけているつもりでも、微量の汚染が体内に蓄積し続けている可能性はもはや排除できない状況なのではないだろうか? 以上のことから、私は、西日本に住んでいるから食品に気をつけなくても安全とは全く思っていない。 しかしながら今の日本は、食品が放射性物質によって汚染されていることを声高に言えない状況にある。 Twitterでも、「食品が危ない!」とtweetしたら、多くの”この程度の放射能は体に影響が無い”と考える人々によって「騒ぎすぎ」「放射脳」「ワーワー教」などの返信がつく。 確かに危険を訴える人々の中に、大げさに言い過ぎている人もいるような気はする。ソースのはっきりしない情報にリンクして不必要に煽っているような人もいるような気がする。 しかし、その人々の言う事が全くのデマであると証明できるものは何も無い。 「安全」をしきりに言う人の意見が事実であるとの証明ができないのと同じように。 東京電力や政府や各省庁の中でも意見が割れるところなのだから、 一般市民の間で意見が分かれるのは当然のことだし、その結果は何年後か、10年、20年後にならなければわからない。 ただ私は、子どもを持つ親として、想像できる危険はできるだけ避けたほうが無難だと思っている。 日々買い物をして、家族の食料を選別する義務があるという立場上、 いくら「風評被害」と言われようとも、危険かもしれないものを食べさせるわけにはいかない。 そこまでしていても、すでに日本全土が相当の汚染状態にあるのかも知れず、たまにする外食や子どもの給食からも内部被曝の可能性は大いにあるのだから、せめて家で食べるものは、自分が”安心(?)”ととりあえず思えるものを選ぶのが、私の親としての務めだとも思っている。 目に見えない放射能に日々蝕まれているかもしれないと思いながら暮らすのは、確かにストレスだが、 現実を見ないでテレビの情報を鵜呑みにしていては、子どもの将来の健康を守ることができないかもしれない。 今の日本では放射能に汚染された食品や、肥料や土や、そのほかにもいろいろなものが流通しているのが事実だ。ある一定濃度以上の汚染地域と、そうでない地域を行き来する人によって運ばれるものもある。靴や自動車によっても運ばれる。 落ち葉や排水がたまるところやごみ焼却施設などに相次いで高濃度の汚染が確認されているように、 放射能は人、物を介してどんどん広がる。 雨によって流された放射性物質は、河川や海だけでなく土壌も汚染する。 放射性物質は、多くの種類があり核種によって半減期が違うので、 事故から9ヶ月になろうとしている現在では問題にならないものもあるが、何十年、何万年、何十万年と放射能を出し続ける核種があり、それを微量ずつでも体内に取り込めば、長い年月の後に体に何らかの影響を与えることが予測できる。 ヘビースモーカーが肺がんになるとは限らないし、美食家が糖尿病になるとも限らない。 放射性物質にしても、被曝したからといってすべての人に健康被害が出るとは言えないだろう。 それならば、ちょっと前まで騒がれていたメタボリックシンドロームはなんだったのか? ここまで喫煙者が追い詰められるようになったのはなぜか? そのときはそれだけワーワー騒いでおきながら、いざ放射能汚染となると「問題ない」という事にしてしまうのはなぜか? ちょっと前までの日本人は”健康ブーム”の真っ只中にいたのではなかったか? 日本人の大好きな健康を脅かす危険のある放射能に無関心な人々が多いのは何故か? 全然理解できない。 私は健康ブームには賛同しなかったが、それでも家族を肥満にしないように、子どもにタバコの煙を吸わせないようにと気遣ってきた。今、それらと同じように放射能汚染の可能性がある食品の購入を避けている。 訳のわからないものだからこそ避けるという姿勢に何ら変わりは無い。 ところが今の日本を見ていると、放射性物質だけが別枠で考えられているように思える。 不自然だ。 国家にとって、それだけの危機であるから、国民の目をその事実から背けさせようとしているのではないか? 去年まで、少子化問題について様々な議論があったが、その中で「人口が増えすぎているから、子どもを生まない人がいてちょうどよい」という意見があった。 今ではあまり触れられなくなった問題だが、放射能汚染や被災者対策をしているから手が回っていないわけではないだろう。そこのところは今も片付かないどころか復興庁の設置すらも成されていないのだから。 このまま汚染を広めて人口を削減しようとしているのかも?? なんていうのは考えすぎ?
とても残念だけど、これは事実のようだ。
旧帝大と言われるところを卒業していても、 思考が浅く、自分さえよければという人間はわんさかいる。 やっぱり日本の教育が駄目ということだ。 子どもは海外に出して、 コミュニケーションに足る語学力と、広い視野を身に付けさせたい。 そうやって、海外に暮らしながらも、 日本人のステイタスupに貢献している人は沢山いる。 偉業を成し遂げられなくてもいい。 非力でもどこかで日本の役に立つことを喜びに感じられる大人になって欲しいし、そういう人と結婚して欲しいな。 刹那的、享楽的なことを追い求めても、明るい未来に繋がらないような気がする。
昨日に続いてまた新聞ネタ。
産経新聞では、「放射能汚染を心配し過ぎることは、風評被害につながる」との読者からの投稿を掲載したり、汚染が確認された米などの記事でも「暫定基準値を大きく下回る」と書いたりと、私の感覚とは違う内容であることが多い。 今日の記事では、日本財団会長の話として「正論」という欄に、 "福島の原発事故がチェルノブイリとはかなり違う"と強調し、 更にはウクライナのチュマック博士の意見として "住民が福島を離れるのは害のほうが大きい"とまで書いていた。 理由は、悲惨さとストレスだそうだ。 更に年間1ミリシーベルトレベルまでの除染目標を非現実的とし、 そのせいで福島から避難している人が戻ってこないという意見。 これは誰のための正論か? 被災者の健康を考えてのものでないことは明白だ。
今日の読売新聞の記事(群馬)で、「放射能を必要以上に怖がり、ストレスの増加、野菜などの摂取や運動が不足する方が、がんのリスクを100倍以上高める。放射能の正しい知識を持つことが重要だ。」と書かれていた。
ほんとですか?? 100倍以上って、それは何ベクレルの内部被曝と比較しての数値なのかしら? ストレスって絶対的なものでしょ? 同じだけのストレスを与えても、その影響には個体差が出るのは当たり前。 ストレスを数値化する機械なんていうものもあるらしいが、それが体にどう影響するかは人それぞれ。 ましてやAという人がストレスに感じることでも、Bという人にはストレスでもなんでもないということが普通に起こりえる。 放射能汚染に対しても、非常にストレスを感じる人もいれば、気にしない人もいるのに、 そんな不確かなものを放射能に被曝することと比較すること自体どうなんでしょう? 私は、産経新聞と読売新聞を交互に契約してきて、来年は読売新聞の番だったのだが、 こんな記事を書く新聞社にお金を払うのがもったいないと思う。 子どもの教育のためには、紙の新聞が家に届くことにも意味があると思うので、 (といっても、子どもは漫画しか読まないが/涙) 新聞を取らないという選択はしないつもりだが、だったらどこの新聞にするべきか。。。 いっそ英字新聞に・・とも思ったが、それだと自分も新聞を読まなくなりそうだし(笑) メディアが腐ってるって、辛いよね。
他府県からも注目されていた選挙は、大阪維新の会の圧勝に終わった。
橋下氏の強いリーダーシップは、知事時代から魅力的だったが、 その大阪府改革の壁となったのが、旧態依然とした姿勢を崩さない平松前大阪市長以下、大阪市の体制であった。大阪を変えるにはまず大阪市からとの決意で知事を任期途中で辞任し、挑んだ市長選。これだけ強い意志を持って、政治を変えようとする人の存在が、この日本を変える原動力になってほしいとの期待を込めて投票した人が多かったということなのだろう。 ネットやメディアには、橋下陣営の勝利をヒトラーに例える人がいるが、それは違うんじゃないか。 第一ヒトラーは精神を病んでいたという説だってあるし、今の世に伝えられているナチスの卑劣な行為の数々がどこまで真実なのかも疑わしい。ヒトラーがいかに強いリーダーシップとカリスマ性を持っていたとしても、まさか一人でユダヤ人を虐殺することができるはずはないのだから、当時のヒトラーの周りにはそれを推奨する人々の力が大きく働いていたとしか考えられない。虐殺の実行に大きく関与した人々は、後になってヒトラーのせいにして逃げたのではないか。 ま、単なる想像だが、歴史でまことしやかに語られていることに真実がどのくらい含まれているのかは、過ぎてしまえばその当事者にしかわからない。 そんなことを引き合いに出して、橋下氏を陥れようとする輩に、橋下氏に投票した大阪市民をB層扱いする権利などない。 一体お前らは「何層」のつもりだ?? 言いたいやつは言っておけ。 何年か後に結果が出て、「大阪に住みたい」と言ったって入れてやらん(笑) 冗談はさておき、これからの大阪がどうなるかはまだわからない。 沈没寸前の日本が、大阪によって変わることができるのか、または大阪すら変えることができないのか。 選挙には勝利したが、本当の変革への道のりはまだまだ遠い。 マスコミや反対勢力の妨害に力そがれることなく、突き進んでほしい。 しかし、被災地瓦礫受け入れには慎重になってもらいたいけどな。
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