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2012年 05月 26日
文庫本サイズなのに、おいしそうな写真がたくさん載ったこの本は、お惣菜、ジャム、ソースなどさまざまなびん詰めの作り方と、それらを活用したレシピがいっぱい。
見ているといろいろ作りたくなってしまう。 びん詰めをたくさん作りたくて買ったびんがうちにはいくつもある。 でも、今までに作ったのは、梅酒、レモン酒、新生姜の甘酢漬け、ピクルスを1回ずつ程度しかない。 「作りたい!!」と強く思わないとまず作業に取り掛からない性分であるのと、 お酒類は、仕込んでから飲めるようになるまでに数か月かかるのに、飲み頃になったと思ったら仕込みまでの時間よりはるかに短い時間で飲み終えてしまうのが何となくもったいない。 そして、ピクルスには、全然好きな味にならなかったという苦い思い出がある。 そんなわけで、長い間、キッチンの棚にひっそりと片づけられていた瓶たちを引っ張り出して、 今回は梅シロップを仕込んだ。 1キロの小梅と1キロの砂糖を瓶に入れ、振り混ぜながら梅エキスを抽出するという簡単な手順ではあるが、 小梅のへたを取るのが結構面倒だった。 当然だが小梅は小さい。 1キロといっても100個以上はゆうにある。 ひとつひとつ、つまようじでへたを取っていく作業が楽しかったのは最初だけで、あとは苦行のよう。 小梅の作業が終わると、次は砂糖の計量。 グラニュー糖やザラメなどを合わせて1キロということで、秤にボールを乗せて330グラムくらいずつ砂糖を入れていくと、その量はボールに山盛り!! 砂糖を小梅にふりかけて、ようやく仕込みは完了。 ![]() この大量の砂糖がすっかり溶けて、梅がしわしわになったらできあがりらしい。 ガスウォーターで割って飲むのが今から楽しみだ。 次は何を作ろうかなー♪ 2012年 05月 26日
![]() 久しぶりに買った。 学生の頃、石川にある友達の実家へお邪魔した時、帰りの電車で買って食べたことがある。 とてもおいしかったので、スーパーなどの「駅弁フェア」があるとつい買いたくなる。 先日、「駅弁フェア」でもないのに、「ますのすし」だけがワゴンに積まれていたのを見て、そういえば娘が「ますのすしが食べたい」と言っていたっけと思い出し、1300円とちょっと高いけど特別に買うことにした。 外箱を開けてみると、中の容器は意外に小さい。直径20センチくらいか。 容器の高さは2.5センチほど(目分量)。 こんなに小さかったっけ? 学生の頃の記憶では、1個の量が多くて食べきるのに苦労した思い出があるので、もっと大きいような気がしていた。いや、その後も何度かは食べたことがあるけど・・・? 娘が独り占めする気満々なので、これではとても私が食べる分はなさそうだなと思いながら、万が一「ますのすし」が少なくても大丈夫なように、具だくさん&餅入りの豚汁とともに食卓へ。 写真は「さあ!切り分けよう!」という直前のもの(笑) おいしいおいしいとがっついていた娘だが、半分ほど食べたところで、表情が苦しそうになってきた。 無理やり詰め込むなんてもったいないから、と、私も全体の1/4ほど食べたが、 餅入り具だくさん豚汁も食べたらもうおなか一杯。 苦しみながらも意地汚く食べきろうとしていた娘も、1/8を残してギブアップした。 小さく見えたが、ごはんをかなり圧縮して詰めてあるために、量はやはり多かったのだ。 しかしこの味加減は絶妙。 ごちそうさまでした。 2012年 05月 23日
コンサートに行ってきた!
「ワンコイン市民コンサート」という名前の通り、一人500円で聞けるという大阪大学の先生方の有志によるコンサートの企画の第一回目で、場所は大阪大学豊中キャンパス内の大阪大学会館。 市民コンサートというが、豊中市民ではない私も席を予約できる。 この「市民」の意味は、英語でいうところのcitizenで「国民」ということ。つまりはどこに住む人であろうと聴きにいくことができる。多くの人々のために開かれたコンサートということらしい。 今回のテーマは「知られざるドビュッシー」ということで、前半はパリ音楽院教授であるバイオリニスト、クリストフ・ジェヴァニネッティ氏と大阪音楽大学教授であるピアニスト、青柳いづみこ氏の演奏を聴き、後半は青柳教授によるドビュッシー作のオペラの解説とライブ映像という構成。 ドビュッシー(1862-1918)はフランスの作曲家。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行した。(ウィキペディアより) ピアノをやっていた人なら「亜麻色の髪の乙女」や「子供の領分」「版画」「喜びの島」などはご存じだろうか。 会場には15分ほど遅れて到着したので、前半の3曲を聴き逃したのだが、「牧神の午後への前奏曲」と「ヴァイオリン ソナタ」は聴くことができた。 ヴァイオリンの繊細な音色とピアノの怪しげな旋律の組み合わせは素晴らしく、同行したうちの小学生も聴き入っていた。 会場は、海外の教会でのコンサートを思い出す小ぢんまりとした上品なホール。 日本にもこんなコンサートができるんだ!・・・いや、私が知らなかっただけで前からどこかにはあったのかもしれないが、500円でプロの演奏が聴けるこの企画は最高だ! 後半のオペラ分析は、エドガー・アラン・ポーの作品をドビュッシーがオペラにしたものだそうだが、ドビュッシーが癌に侵された晩年の作品であり、未完でもあることから一般的にはあまり知られていない作品だ。 青柳先生の解説の合間に、ライブ映像が流れたが、確かに一般受けしそうにない作品ではあったが、私はプログレッシブロックのようでかっこいいと思ったし、青柳先生の解説が楽しく、音楽だけでなく講義まで聴かせていただけて大満足だった。 **************** 来月もピアノコンサートがあるそうです。 興味のある方は是非一度お出かけください。 ワンコイン市民コンサートホームページ 2012年 05月 12日
海外では国民のほとんどが同じ宗教を信仰していることが珍しくない。
アラブではイスラム教、ヨーロッパではキリスト教の信者が多く、 先日旅行したバリ島ではバリヒンドゥが90%以上だったが、ほかのインドネシアの島々ではイスラム教徒が多かったり。 キリスト教もイスラム教も、1日に何度も鐘を鳴らしたり、お祈りの歌みたいなのをスピーカーで流したりして、多くの人が教会に集まり、神様に祈りをささげているし、バリヒンドゥでは1日2回、神様へのお供えものを家の前に置くなど、宗教が人々の生活に密着している。 日本でも何らかの宗教を信仰し、日々その関連の活動に従事している人はいて、私の周りにもそういう人がいる。という私も「信者」と公言するほどではないが、毎年の始めには近くの神社でお祓いをしてもらう。私はその神社の空気がとても好きなので、特に用事がなくても気がむけば出かけて行って、お参りをする。 誰かに「お参りしなさい」と言われたのではなく、お参りしようと思い立ったときにいつでも行く。それでも神社の神様が受け入れてくれている感じがする。 たぶん同じように感じている人が多いのか、その神社にはいつ行っても必ず何人かの人がお参りしている。 私はそのような自由な信仰スタイルが気に入っているのだが、世の中には信者を増やそうと家に訪ねてくるような宗教も少なくない。きっとそれぞれに、多くの信者を獲得しうる魅力や説得力を持った宗教なのだろうが、それを他人に勧めたり、時に強要するようなスタイルは理解に苦しむ。 人にはそれぞれに悩みや不幸があるだろうが、それらがどの人のものも同じでないように、どの宗教を選ぶかや、宗教に何を求めるかは人それぞれだ。 なのに、自分が信じているものが絶対的に正しいという姿勢で、ほかの人にしつこいほど勧めるのは、純粋にその宗教を信じている気持ちとは別の動機があるような気がしてならない。 特定の宗教を信仰している人の中には、そのような、独善的な態度の人が少なくない。その信者でない人が愚かだとでも言いたげな人もいる。私にはそのような人が我慢ならない。 AさんがB教の信者であり、CさんがD教の信者であっても、それはそれだけのこと。 AさんがCさんをB教に改宗させようとしたり、CさんがB教を批判したりするからおかしくなる。 それぞれの思いをお互いに尊重し合えたら、大国の思惑が絡んだ世界の紛争は無理でも、自分の身の回りの人間関係はもっと平和になるんじゃないだろうか。 2012年 05月 10日
全部の原発が止まって、ますます節電といわれるけど、
「はい。そうします。」と思えないなんか反抗的な私。 自分の身の回りに限って言えば、 エアコンは嫌いだから、そんなに使わないし、使ったところで昔から夏は28度設定。 暖房は石油ファンヒーターなので、電気も使うがエアコンほどではないはず。 それ以外に電気を使うと言えば、冷蔵庫や洗濯機。お風呂の給湯器はスイッチは電気だが湯沸しはガス。 コンロもガス。オーブンレンジはあるけど、1日の稼働時間は5分以内だと思う。 あとは部屋の照明とテレビ1台とパソコン。 これって、私が子供の頃とほとんど変わらない電気使用量なんじゃないかと思う。家電製品は昔のものより省エネになっているはずだし。 いったい誰がじゃんじゃん電気を使っているんだろう? そういえば、うちの近所徒歩10分圏内にはコンビニが6軒もある。それぞれ年中無休だから、これこそが電気の無駄じゃないの?コンビニもあるが、スーパーも夜11時まで開いてたりするし、昔は週1日は定休日だったデパートも今では年中開いてる。これも電気の無駄。 でも、こういう商業施設があるから雇用は生まれているのは事実。ということはこの部分の電気の無駄は仕方がないのか?いや、それにしたって一晩中開けておく必要があるのかどうか。。。不良のたまり場になるし、強盗だって深夜に発生している。うーん。 2008年ごろの関西の電力で、原発に頼っていたものは20%台だったはずだが、最近では45%だったとか言われている。それが事実だとして、2008年から原発が止まるまで、電気代が安かったかというとそうでもない。電気代はいつだってガス代より高い。 ここ数年なんか、電気代に加えて太陽光発電促進付加金といって勝手に毎月20円近くも取られている。 うちは太陽光発電はやってないけど、その促進に電気使用者がなぜお金を払わされるのかわからない。これ、全世帯から毎月取っているのだから相当な金額になっているはずだが、電力会社がやるべき設備投資に有無を言わさず出資させられているようで気分が悪い。 これは近々電力会社か消費者センターに問い合わせる予定。 新聞によると東京電力は国有化することになるようだ。 放射能をまき散らした責任を、東京電力ではなく国民の税金を使って取るという手法なのだろうか? 詳しくは知らないが、すっきりしない。 大阪を走る阪神高速道路は、今年1月1日から「距離料金制」になった。 今までは一律700円だったところを、走行距離に応じて500円から900円の値段をとるようになった。 しかし、500円のところとは、乗って二つ目の出口で下りる程度の距離であり、そもそもそんな短い距離を行くのに高速道路を使う人なんてほとんどいないだろう。 私など通勤で、これまで700円で済んだ高速料金が800円に上がった。これだってETCをつけているから100円割り引かれた料金なのであるから、本当は900円に値上がりしているということになる。 民主党は、高速道路の料金をタダにするといっていたはずなのに、結局どこも有料だし、阪神高速についてはかえって値上げした。ここは昔の道路公団とは別の独立した組織だからいいと言うつもりかもしれないが、電気料金といい、高速道路といい、そのうち上げる予定の消費税といい、結局どうやって国民からお金をむしり取るかしか考えていないんじゃないのかな? 2012年 05月 07日
うちの町内は、わりと活動している。
毎年親睦会があるし、総会っていうのも一応あり、年末には「火の用心!」と町内を練り歩く。 防犯・福祉などいろいろな委員もいるし、町会を束ねる連合みたいなのもあり、なかなか大がかりな組織構成となっている。 今年は順番に回ってくる班長の年ということで、町会費の集金に回った。 好意で同行してくれたご近所さんと話しながら回っていると、ちょうど立ち話をしていた奥さんから副会長の役割も順番に回ってくるらしいと聞いて驚いた。 ここでもPTAと同じように、やりたくない人が多いのに以前からの慣習に乗っ取ってずっと同じ行事をし続けているのだ。 この町会だけの問題なら、がばっと役を減らし、行事は必要最低限とする改革に名乗りを挙げたいところだが、連合町会が噛んでいるということはそうもいかない。連合の長老方に喧嘩を売るなんてとてもじゃないけど無理。 あーめんどくさい。 面倒くさがり屋の私は、すぐ業務縮小、時間短縮を考えるが、これらをやりたくない人もいる。 何かにつけ用事を作り、町内の人を集めることがコミュニケーション強化につながると考える人だ。勿論、それを否定するつもりはないのだけど、町会で比較的若い世代となる30~50代の人々というのは、仕事や育児で忙しいし、比較的時間に余裕のある60代以降になると体調に不安がある人も増えてくる。 誰もこの活動に多くの時間を割くことができないのが現実なのだ。 だったら活動内容を検討するべきだと思うのは早急にすぎるだろうか? 2012年 05月 07日
最近でこそメジャーになった大阪の串カツであるが、その昔は大阪に生まれ育った私もほとんど足を踏み入れたことがなかったディープなエリアであった。
大阪のシンボル?通天閣がある新今宮・新世界エリアに、昔からある天王寺動物園は家族連れが訪れる所であったが、その周辺は数年前まではちょっと怖いところだった。動物園の周りを囲む天王寺公園では沢山のおじさんおばさんが集まり、大音量で野外カラオケを楽しむグループが複数点在し、着物を羽織ったおじさんがカラオケに合わせて踊っていた。 ホームレスもたくさん住んでいて、あちこちに段ボールの家があったりした。 学生の頃、その近辺の商店街に行ったら見知らぬおじさんに「ここは若い子が来るとこちゃうで」と言われたこともあった。 そのエリアを生まれ変わらせようとできたのが、フェスティバルゲートという名の屋内遊園地と商業施設が一緒になったものと、巨大な銭湯であるスパワールドだった。 フェスティバルゲートがわずか数年で廃れたときは、生まれ変わりは無理だったのかと思ったが、昨今の串カツブームで、町はすっかり様変わりした。 串カツの店は一気に増加し、家族連れが食べにくるようになった。こうなって初めて我が家でも子連れで串カツを食べに来るようになった。それまでは子供を連れてくるのは危ない感じがしていたのだ。 串カツ店の行列に並ぶと、関西以外の言葉も聞こえてくる。観光客だ。 新世界に観光客・・・なんとなく信じられないような光景である。 先日家族で串カツ屋に行った帰りに通天閣の下を通ったら、沢山の人が並んでいた。どうやら通天閣に上る人々の列だったようだ。 なんと!! ここはエッフェル塔か?! とか訳のわからないつっこみをしてしまうくらい驚いた。 ちなみに大阪生まれの私は、通天閣には1回くらいしか行ったことがないので、中がどんな風になっているかはテレビで見た記憶しか残っていない。金ぴかになっているといううわさもあるけれど。 さて肝心の串カツだが、 有名なお店は商店街の中にある「八重勝」とその横にある「てんぐ」、通天閣の近くにいくつか店舗がある「だるま」などだが、これらはどこもおいしい。 串に刺した具材に水と卵で溶いた小麦粉をつけて、ささっとパン粉をつけて揚げるのだが、家でやってもなかなかこの衣のおいしさは真似できない。 そしてソース。二度づけ禁止のソースは深めの容器に入ってカウンターのあちこちに設置されているが、これも普通のウスターソースとはちょっと違う。甘味がある。衛生面はどんなもんなのかは謎だが、味はおいしい。 ソースの横には食べ放題のキャベツもある。 串カツとキャベツにあとはビールやハイボールなんかでおなか一杯食べても一人2000円するかどうか。 何より大阪の串カツ屋には、日本のほかのどの飲食店とも違う独特な雰囲気がある。ちょっと外国っぽい。東南アジアのどこかの国みたいなかんじだ。 大阪の友達にも「行ったことがない」という人は多いけど、おすすめです。 心配な人は男の人と一緒にどうぞ。 2012年 05月 06日
キャメロン・ディアス主演のミステリー。
1976年のある早朝にドアチャイムが鳴り、出てみると四角い箱が置かれていて、その箱を置いたと思われる黒い車が走り去っていく。夫と息子と共に箱を開けると、中からボタンがついた不思議な箱と「5時に伺います」というミスター・スチュアートという謎の人物からのカードが。 夕方5時ちょうどに現れたミスター・スチュアートによると、「このボタンを押すとあなたの知らない誰かが死に、100万ドルを手にすることができる」「ボタンを押さないのであれば、この箱はリセットされて別の人の元に届けられる」。ボタンを押すかどうか24時間以内に夫婦で相談して決断するように迫られる。。。 ストーリーも映像も音楽もとてもよくマッチしていた。ミステリーだけに終わらず、家族愛がしっかり絡んでくるところがさすがアメリカ映画だと思う。 地味で暗いキャメロン・ディアスもよかった。 しかし映画レビューのサイトでは0点をつけている人もいた。 これは邦題が「運命のボタン」になっていて、キャメロン・ディアス主演ということで、ラブコメディ的なストーリーを期待させてしまったせいではないかと想像する。 いつも思うことだが、海外作品につける邦題のセンスはたいてい酷い。 キャッチコピーも、映画のメッセージとかけ離れたものの多いこと・・・。 原題のままではいけないのだろうか? 2012年 05月 06日
年をとるとはどういうことなのだろう?
毎年誕生日が来るたびに1歳ずつ増えていく。肌は衰え、体は疲れやすくなる。髪の毛が薄くなったり、白髪が増える人もいるだろう。 私などは、仕事柄、年とった人といえば介護病棟に入院している患者さんたちの顔が思い浮かぶ。体が思い通りに動かなくなったり、日常生活に支障を来すほど物忘れがひどくなった方々だ。 入院患者さんに限って言えば、そのほとんどはとても自分の身の回りの世話などできない。すなわち社会性が保たれている人が極めて少ないのが特徴で、私などは老年期の方というとまずそういった人を想像してしまいがちだ。 しかし、実際のところは年とってもなお自立した生活を送る方々もたくさんいる。生活する地域での人間関係があり、頻繁に話す友達がいる。仕事に出ている息子夫婦に代わって孫の育児を引き受けている人もいるだろう。 この映画は、そんな、自立した老年男性の物語だ。 妻に先立たれた、元教師のハリーは猫のトントとニューヨークに暮らしている。 馴染みの店で買い物し、ベンチに座ればいつもの友達とおしゃべりと、快適な老後を送っていたのだが、長年住んだアパートが取り壊されることになって生活の変化を余儀なくされる。 迎えに来た息子家族との生活を始めるが、息子の家には十分な部屋がない。自分が来たことで息子の妻に負担をかけていると感じたハリーはトントを連れてほかの子供たちを訪ねながら自分にとって居心地のいい場所を探す旅に出る・・・という、ロードムービー。 年をとっても、元気とお金があればどこにでも行けるし何でもできる。そこは若者とそんなに違わない。 ただ、年を取るということは喪失がすぐ近くにあるということでもある。配偶者や友達が次々に亡くなっていく悲しみや置いてけぼり感も乗り越えて生きなければならない。 勿論これは、どの世代にも共通することなのではあるが、年を取って体力も気力も衰えたところに、同じように年を取った親しい人がこの世を去ってしまう辛さは、やはり今の私には計り知れないのだろうと想像した。 古いけど素敵な映画。さすがアカデミー賞受賞作! 2012年 04月 25日
独身生活を謳歌するウィル(ヒュー・グラント)は、作曲家だった父親の印税で暮らす38歳。面倒に巻き込まれずに女性関係を楽しみたいウィルは、シングルマザーに目をつけ、シングルマザーの会にシングルファザーであると偽って出席。その縁で、情緒不安定な母親(トニー・コレット)と暮らす少年マーカス(ニコラス・ホルト)と知り合う。
母にはボーイフレンドが必要だと考えたマーカスがウィルに付きまとううち、二人の間に友情が生まれる。 主人公のあまりのいい加減さが目にあまり、序盤は見るのを止めようかと思ったのだが、マーカスがとても健気なので思いとどまった。 音楽もよかった。
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