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2011年 05月 14日
主人公の悦子は、2度目の結婚を機にイギリスで暮らすようになった。
日本人だった前の夫との娘・景子が自殺し、家を離れていた次女・ニキ(イギリス人夫との娘)が悦子のもとに戻ってきた。 ニキとの5日間と、戦後の長崎を生きた悦子の記憶の物語。 訳者である小野寺健氏のあとがきで、カズオ・イシグロは、カフカなどと同じく不条理を書いた作家だとしていたことに、とても納得がいった。 NHKの特集で、カズオ・イシグロは『記憶』を描く作家であると言うのを聞いたとき、的外れだとは思わなかったが、何かしっくりこない気がしていたのだった。 カフカの作品は、20代半ばごろから「変身」に始まり、「城」などいくつか読んだ。 作風は気に入ったのだが、何もかもが不条理すぎて、私にとっては、感動を覚えるなどという類の小説ではなかった。この作者は不信感の塊で、ひょっとしたら病気なんじゃないだろうかと思ったものだ。それなのに、どういうわけか気になる。私にとってカフカとはそういう作家であった。 私はカズオ・イシグロを読んで、カフカを思い出すことは今までにまったくなかったのだが、同じ流れの中にいる作家であるという説は、私にはとても説得力がある。 言われてみればイシグロ作品も、不条理だ。 「遠い山なみの光」だって、登場人物それぞれが喋りたいことを喋っているだけで、会話として成立していないし、お互いの心に沿うこともしない。その文字列だけを読めば、何が言いたいのかわからない作品だろう。しかし、イシグロ作品の魅力は、文字列では表現されない人の気持ちや、その人の置かれた状況を読み取ることができるところにあると思う。 文字にすると、直接的すぎて、平易になってしまうものに、さっとカバーをかけているようだ。 カバーの柄に何かの意味があるのかと思って、目を凝らして見ていたら、本質はカバーの中に隠されていたとでも言うような。 そのように恐らくは誰もがもつ、カバーで包みこんで大切にしておきたい、あるいは、 触れたくない何かについて、そっと、優しく描こうとしている作家なのではないかと思う。 だから私はこれほどまでにイシグロ作品に惹かれるのだろう。 この作品とあとがきを読んで、イシグロ作品のみならず、カフカが気になる理由までもが明らかになり、とても清清しい気持ちだ。
by phriky
| 2011-05-14 08:07
| 本
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